「ポルノ表現は保護されるべきものか否か?」 前衛芸術と「公/私」の境界線への挑戦【仲正昌樹】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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「ポルノ表現は保護されるべきものか否か?」 前衛芸術と「公/私」の境界線への挑戦【仲正昌樹】

「ポルノと女性の権利」についての考察2

写真:PIXTA

 

■何故、セックスは「私秘的」であるべきなのか? 

 では、何故、セックスは「私秘的」であるべきなのか? 公的な場に出て来ると、どういう危険があるのか。言わずもがなのことであるような気もするが、それをきちんと確認するのが哲学だ。ドゥウォーキンが注目している「ライブ・セックス・ショー」に即して考えてみよう。予想されるように、これに対しては厳しい見方をする人が多い。

 「ライブ・セックス・ショー」は、セックスをビデオではなく、生でみたい人たちだけのプライベートなクラブのようなところで行われる。少なくとも、公共的な場で行われるものとは言えない。しかし、ドゥウォーキンが参照している委員会報告(ウィリアムズ・レポート)では、「ライブ・セックス・ショー」に対して通常のポルノに対する以上に厳しい規制、禁止が必要という意見さえ出されている。その場にいない他人に、見たくないものを見せつけられることによる不快感という意味での害を与えていないのは確かだ。

 「ライブ・セックス・ショー」を危険視する人は、セックスが行なわれる現場に観客が居合わせるため、直接的に強い刺激を受けると考えているように思える。その刺激で、性的犯罪とか危険な性行為に走る可能性が高いと想像・推測するのだろう。他の形態のポルノについてもそうした推測が働いていると考えられる。子供の目に触れないようにする、というのも、子供がそういう刺激に免疫がないからと想定されているからだろう。

 演じる側と見る側から成る“共同体”が公共圏から隔離されているだけでは不十分で、セックスを実行する演者と「聴衆the public」の間にも一定の間隔を置き、刺激が無暗に広がらないようにすべき、と考えている人たちがいるのである。これは、ライブ・ショーを観劇する人たちの「プライベート」な嗜好へのパターナリズム的な干渉と見ることもできるが、ライブ・ショーの行われるのが、純粋なプライベートな場ではなく、特殊な種類の公共の場と考えれば、干渉を正当化できるかもしれない。かなり絞られた人数とは言え、一定数の(相互に必ずしも顔見知りではない)観客が、セックスが行われる場に居合わせ、興奮が高まり、何が起こるのか分からないので、そういう場に公権力が予防的に介入するのは不当ではない、という見方もできる。

 そういう面から見ると、ポルノ規制は、ポルノという、酒や麻薬のように、あるいはそれ以上に刺激が強い危険なものを、私的空間に可能な限り押し込めておく試みということになるだろう。ハンナ・アーレント(一九〇六-七五)は、古代ギリシアでは、家を中心とする私的領域は、人の生物的欲求が充足され、暴力的な支配が行われる場だったとしている。危ない欲求は、他の市民との関係を考慮しなくてよい、私的領域で処理される必要があった。

 では、ポルノの規制は、それが何等かの形で公共空間で行われるかどうか、公共空間でどのように拡がるかに絞って判断すればいいのか、というと、そう簡単な話ではない。売春とかポルノ、性と暴力について問題提起する、あるいは、セクシュアリティとは何かを考えようとする、いわゆる芸術性が高い映像・舞台作品がある。それらは、個々の顧客を性的にその気にさせることを商業的目的として掲げていないが、観客の中には、それらからポルノと同じ刺激を得る人もいる。それはどう考えるべきか。制作のプロセスや上演解体によって目的を判定し、区別すべきか、それとも、刺激の量のようなものを何らかの形で測定するのか?

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仲正 昌樹

なかまさ まさき

1963年、広島県生まれ。東京大学総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了(学術博士)。現在、金沢大学法学類教授。専門は、法哲学、政治思想史、ドイツ文学。古典を最も分かりやすく読み解くことで定評がある。また、近年は『Pure Nation』(あごうさとし構成・演出)でドラマトゥルクを担当し、自ら役者を演じるなど、現代思想の芸術への応用の試みにも関わっている。最近の主な著書に、『現代哲学の最前線』『悪と全体主義——ハンナ・アーレントから考える』(NHK出版新書)、『ヘーゲルを超えるヘーゲル』『ハイデガー哲学入門——『存在と時間』を読む』(講談社現代新書)、『現代思想の名著30』(ちくま新書)、『マルクス入門講義』『ドゥルーズ+ガタリ〈アンチ・オイディプス〉入門講義』『ハンナ・アーレント「人間の条件」入門講義』(作品社)、『思想家ドラッカーを読む——リベラルと保守のあいだで』(NTT出版)ほか多数。

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